父、齋藤進之助と母、京子は昭和十六年に結婚した。 この時、父は中国での兵役を終えて帰って来たところだったので、結婚して一年で再度の赤紙が来るとは思ってもいなかったようだ。 昭和十八年、父は再び戦地に赴き、母は敗戦に向かって転げ落ちて行く日本で、長女、節を産み、そして失った。
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第一回目の出征(昭和14年初夏〜15年暮) -- 支那事変 |
徴兵検査 |
召集令状を受け取る |
出発 |
楊子江を遡る |
南昌にて |
ウソッパチの業務詳報 |
上等兵に、そして除隊 |
第一回出征 写真集 |
第二回目の出征 前半 (昭和18年春〜19年夏) -- 泰安-- |
新兵の悲哀 |
二度目の赤紙 |
泰安到着 |
墓を壊したタタリ |
蒙古馬を追い込む |
軍指令部に分遣されたが・・ |
最大限の御奉公 |
泰安の思い出 |
第二回目の出征 後半 (昭和19年夏〜終戦) -- 北京-- |
北京へ |
近衛見習士官殿 |
野戦病院で盲腸を切る |
終戦、そして帰還 |
第二回出征 写真集 |
あとがき--1 |
あとがき--2 |
「兵隊物語」へのあとがき |
終戦日記(抄) |
終戦日記(抄)について |
主人の出征と節の誕生 |
横浜大空襲 |
昭和二十年夏 |
終戦の秋 |
淑子さんの身の上話 |
「終戦日記」へのあとがき |