大学にはいって1年ほど経った頃から宝生流謡曲を塚田光太郎師に習い始めた。 習い始めた動機は紋付きに袴で仕舞を舞いたかったから。 母方の祖父が金沢出身で宝生流謡曲をたしなんでいたことも影響した。 年に一度、能舞台で仕舞を舞うのが楽しみであった。 平成23年5月に塚田師が鬼籍に入り、細々と続けていたお稽古も完全に途切れてしまった。 平成25年3月に山形大学を定年退職し、横浜に戻って来たのを機会に、大坪喜美雄師(喜扇会)のもとで稽古を再開した。