あなたのなかの宇宙  --- 生物の体に記された宇宙全史---
ニール・シュービン[著]、吉田三知世[訳]
早川書房、2014年発行 2400円 + 税



 磯子区役所に出かけたついでに久しぶりに地下の横浜市立図書館磯子分館に寄ってみた。たまたま見つけたのがこの本である。大して期待していた訳ではないが、読んで面白かった。第1章「世界を揺るがす」の最後の2節を丸写しにして、この本の目指すところを明らかにしておこう。
 岩も、生物の体も、それが形成された大きな出来事の痕跡を保存しているタイムカプセルのようなものだ。私たちの体を構成しているさまざまな分子は、はるか遠くの太陽系の源で起こった恒星の発達過程で生じたものだ。地球の大気に生じた変化が、私たちの細胞や代謝機構全体を形作った。山が形成される際の地殻の振動、地球の軌道の変化、地球そのもので起こった異変が、私たちの体、精神、そして世界観に影響を及ぼして来た。
 まさにそんな人体と同じように、本書も時間の流れに沿って構成されている。私たちの物語は、137億年前、ビッグバンで宇宙が誕生したときから始まる。続いて、私たちが宇宙のなかで占めている小さな一角がどんな歴史をたどったかを見ながら、太陽系、月、地球の形成が、人間の体を構成する器官、細胞、遺伝子にどのような影響を及ぼしたのかを確かめていこう。


  
  • プロローグ  
  • 第1章 世界を揺るがす
  • 第2章 過去からの衝撃
  • 第3章 幸運な星たち
  • 第4章 時間について
  • 第5章 大いなる者の出現
  • 第6章 点をつなぐ
  • 第7章 お山の大将たち
  • 第8章 熱と寒気
  • 第9章 凍れる事実
  • 第10章 発明の母

 第1章は著者自身のグリーンランドフィールド調査の話から始まる。爬虫類と哺乳類をつなぐ化石をついに発見した話である。グリーンランドで調査を始めてから10数年、爬虫類と哺乳類のミッシングリンクを探すプロジェクトを始めてから3年が経っていた。書かれているのはグリーンランド調査の始まりの頃のことがほとんどで、ミッシングリンクの発見については章の初めに書かれているだけで、細かいことは書かれていない。何か料理のにおいを嗅がされただけで皿を引っ込められてしまったような気がした。

 第2章の話題は、ビッグバン、物質と反物質の不均衡、星の中での元素合成、そして星の死である超新星爆発。超新星爆発で元素は宇宙空間にばらまかれ、その元素によって私たちが出来ている。20世紀の天文学の発展をエピソードを織り交ぜて紹介している。このあたりの話題は「年代学いろいろ」の授業のために準備したのでよく知っている。知っているから面白いというところもあるだろう。深く知ろうとしたら、この章の長さでは紹介できないだろう。私は、星の中の元素合成の話だけで最低1時間半の授業1回を使っていたのだから。

 第3章は初期太陽系と地球の誕生が話題になる。スヴェーデンボリ、カント、ラプラスによる渦巻くガス雲が太陽の回りに円板を作り、その中から惑星が生まれるという現在の太陽系形成理論に繋がる考えの展開と停滞。赤外線天文衛星IRASによるガス雲に取り囲まれた形成初期段階の恒星の発見。メキシコに落ちたアエンデ隕石の話(アエンデの年代を46億7000万年と書いているが、これは45億7000万年のはず)。西オーストラリア、ジャックヒルズで発見された40億年から44億年の年代を示すジルコン。このジルコンは作られた環境に水が存在していた証拠を持っているという。水は40億年前には地表に存在したということになる。地表に水が存在することは地球の大きな特徴である。そして、生命の歴史の最初の27億年は水の中にあり、現在の私たちの体の中にも海の記憶が残っているのだと著者は言う。ただ、地球の水の起源については彗星から来たという説もあれば、小惑星由来という主張もある。小惑星由来ではなく原料物質が含んでいた水が絞り出されたのだという主張をする人もいると書いている。
 地球以外の惑星、金星、火星については比較惑星学の簡単な記述がある。金星は水を失った灼熱地獄。火星には今は無いが昔は水が豊富に流れた痕跡がある。水星のクレーターの底にも氷があるかもしれないという話も紹介される。
 最後の太陽系における木星の役割が紹介されている。木星は惑星の中でいち早く成長し、他の惑星の成長に影響を及ぼした。「木星がもっと太陽に近かったら、地球はもっと大きな惑星になっていたはずで、当然地表での重力は大きくなり、人間が発生したとしたら背が低くずんぐりした体格になっていただろう。逆に木星が太陽から遠かったら地球はもっと小さかった可能性があり、その場合は人間はもっとすらっとした体格になる。」というSFめいた紹介もされている。
 結論として、地球の軌道が太陽からちょうどよい距離にあるという偶然の幸運で地球には生命が繁栄していることになる。今後10億年もすると太陽が膨張して地球は暑くなり現在の金星のような熱地獄になるだろう。その頃には木星の衛星などが水のある天体ということになっているかもしれない。 
 アエンデ隕石、ジャックヒルズのジルコンの話は「年代学いろいろ」で扱ったし、比較惑星学についても準備の段階では文献を読んだ。カントの説も専門の授業で使った「The Inaccessible Earth」に載っていた。私も慣れ親しんでいた知識を私たち人間にこのように結びつけて話せるというところが新鮮だった。

 第4章は月の形成、太陽と月による暦の話に始まり、生物のDNAを用いた分子時計の話、サンゴに残された年輪と日輪、人間の体内時計がおよそ太陽による一日に合っていること、体内時計をコントロールしているのはどの器官かなどの話題が続く。体内時計の話は授業でしなかったが、あとは授業の題材であった。この本には書かれていないが、DNAを用いた系統分化の研究の話はチンパンジーとヒトの分岐が今から500万年前であったという論文で大きな注目を集めた。ヒトは万物の霊長として孤高の位置を占めているのではなく、チンパンジーとはそれこそ兄弟だと分かったのだから。化石ではおいきれない分岐の年代を全く別な方法、生物の体の中に残されたDNA情報だけで求めたところが大衝撃であった。もちろんDNAを用いた分子時計に疑問を持つ古生物学者もいてその反論の大きなよりどころが、クジラの進化は化石でよく研究されており、それと全く合わないということであった。この章の説明ではその後もっと原始的なクジラの化石が見つかり矛盾はなくなったということである。
 太陽の日周期は日を数える暦の基になっただけでなく、樹木やサンゴの成長の記録としても残され、また人間の体内時計の基準にもなっている。
 この章の104ページの記述および第3章の注には間違いがある。「ウラン、アルゴン、鉛などの元素の同位体比が分かればその岩の鉱物がどのくらい昔に結晶化したかを推定することができる。」とあるが、「鉱物中の鉛206とウラン238の量の比、アルゴン-40とカリウム-40の量の比」でなければならない。ウランの同位体比はどの鉱物でも同じであるし、アルゴンの同位体比が分かってもカリウムの量が分からなければ年代は計算できない。第3章の注ではアルゴン-39はカリウム-40に変える必要がある。アルゴン-39は確かに放射性元素ではあるが、天然にはほとんど存在せず、また半減期も270年と短いので地質年代測定には利用できない(隕石が地球に落ちてから何年経つかといった研究に利用される)。

 第5章は20億年前の地層から発見された単細胞生物の話(現在は34億年くらい昔まで遡る)に始まり、体長5mmまでの生物と大きな生物では受ける力の種類が違うことが説明される。小さい生物では重力はさほど重要ではなく分子間力が大きな影響を与えるのに対して、大きな生物では重力が主要な影響を与える。体が大きくなるには大きなエネルギーを必要とし、その源は酸素である。大気中の酸素は20億年前頃から急激に増加し始める。その原因は海水中の藻類が炭酸同化作用で出す酸素を消費していた物質がなくなったからだと考えられる。なぜなくなったか?一つの可能性は酸素消費物質を放出していた海底火山の活動が低下したためであろうと紹介されている。この章に出てくる大規模鉄鉱床の形成に絡んで、海水中に溶けていた鉄が酸素と化合して水に溶けなくなり沈殿し、溶けていた鉄がなくなったので、酸素が大気に逃げるようになったというシナリオもあったはずである。
 6億年前になると多細胞生物が出現する。酸素は細胞を傷つける危険な物質でもあるが、高エネルギーの源でもある。生物の体が大きくなるには酸素を使いこなす必要があったのである。

 第6章はまず、大陸移動説、海洋底拡大説、プレートテクトニクスを復習する。ウェーゲナー、ヘス、ヘーゼンとサープ、ヴァインとマシュー、ツゾー・ウィルソンといったなじみの名前が出てくる。また、大陸移動説を認めたくない当時のアメリカ地質学会の雰囲気も紹介されている。
 話は深海掘削船グロンマー・チャレンジャーの成果に移る。掘削で得られた深海底堆積物からは過去2億年間の大気中の酸素濃度が推定された。それによると、約2億年前に大西洋の拡大が始まると酸素濃度が上昇し始め、4000万年前頃には現在と同程度の濃度になったことが分かる。その原因としてシュービンは「海底に堆積して酸素を吸収していた有機物が、分裂によって新たに出来た海岸線からもたらされる土砂で埋められ酸素を吸収できなくなったため」と説明している。

 第7章はシュービン等がノヴァスコシアのK-T境界層のサンプリングに行く描写から始まるが、K-T境界層だとはっきり書かれていないのでよくわからない読者もいるかもしれない。
 話は化石によ地層同定を始めたウィリアム・スミス、その甥で「古生代、中生代、新生代」の地質年代区分を命名したフィリップに進み、巨大ナマケモノの化石やマンモスの化石から生物の絶滅という概念を考え、「激変説」を唱えたキュヴィエへと進む。「激変説」は「斉一説」に破れほとんど忘れ去られる。中にはニューマンのように全世界で多様な生物群がほぼ同時に消滅したことを化石の研究で明らかにし、「激変説」に賛同する者もいなかった訳ではないけれども。
 「激変説」の劇的な復活はアルヴァレツ父子による白亜紀・第三紀境界のイリジウム濃度の研究から始まった。この境界にはスパイク状に高濃度のイリジウムの濃集が見られ、これは隕石(あるいは小惑星)によってもたらされたと考えるほかないということになった。この衝突で生じたいろいろな現象がもとで恐竜を含む多くの種が絶滅した。地球の生物が経験した大量絶滅はこのほかのもあり、原因も天体衝突だけではなく、大規模火山活動や海洋の化学変化なども候補に挙げられている。
 「激変」の際にはその時点で繁栄していた多くの種が滅亡する。それは繁栄していなかった種にとってチャンス到来ということである。小さなネズミ程度だった哺乳類の先祖が恐竜に入れ替わるチャンスがやって来たという瞬間であった。

 第8章は氷で覆われたカナダ北極圏の島で発見された化石林、南極大陸で発見されたリストロサウルスの化石の話で始まる。これらは昔これらの地域が温帯や熱帯地域だったことを示している。
 地球大気の存在する炭酸ガスの温室効果により、気温変動は狭い範囲に押さえられている。大気中の二酸化炭素を吸収した雨は酸性雨となって岩石を化学浸食し、川により海に運ばれ大気から二酸化炭素が取り去られ気温は低下する。一方火山は地球内部から二酸化炭素を大気に放出し、大気中の二酸化炭素濃度が上がると気温は上昇する。これを地球における炭素循環という。この循環にはフィードバック効果があり、地球大気の気温変動は存在する炭酸ガスの温室効果により狭い範囲に押さえられている。
 今から4000万年程昔に北極、南極初め地球全体で急激な気温低下が認められた。4000万年前という時代はインド亜大陸がユーラシア大陸に衝突しヒマラヤ山脈が成長した時代である。レイモはヒマラヤ・チベットの浸食により大気中の二酸化炭素が減少し気温低下を招いたとする説を立てた。
 旧世界サルはフルカラーの視覚を持っているが新世界サルは木の葉を食べるホエサル以外はフルカラーの視覚を持たない。DNAの研究から霊長類がフルカラーの視覚を獲得したのは4000万年前で、地球の寒冷化で植生が変わりホエサルも果実から木の葉に食物を変えなければならなくなったと考えられる。栄養分の高い木の葉を選ぶには視覚をフルカラーにした方が効率的だった。4000万年前の寒冷化の記録がフルカラーの視覚として残っているとシュービンは説明している。

 第9章はフィールド調査から氷河期の存在を発見したアガシの話から始まる。氷河期は1回でなく何回も繰り返している。この周期性を天体地球の軌道の特徴、地軸の傾き、歳差運動と結びつけて解析したのがミランコビッチであった。シカゴ大学のリビーは14C年代測定を開発し過去数万年までの年代を正確に測る手段を提供した。また同じ大学のユーリーは酸素同位体の精度の良い測定法を開発した。貝殻に含まれる酸素同位体の値は海水温度の指標になるので、化石の年代がわかれば海水温度の変遷がわかる。これから過去数十万年の気温変動が解明された。最近は極地で採取された氷床コア中に閉じ込められた大気の酸素同位体組成を測定して、過去の気候変動が研究されている。
 アメリカ大陸の人類は氷河期にアジア大陸とアメリカ大陸が氷で繋がったときにアジアから移住したとされている。気候の変化は生活の変化を生む。ナチュフィアンの始めた定住生活も気候の変動に左右されない生活を選ぶということだったのだろう。人間のDNAの中にも、変化する環境に対応した変化が残されている。人類の拡大する分布領域に合わせるために、色素を司る遺伝子や、食べ物に関する遺伝子にその影響が残っている

 第10章ではまず人類誕生と簡単な人類史が紹介される。そのあとはこの本全体の締めくくりといっていいだろう。進化は積み重ねで、飛び越すことは出来ないが、同じ時代に同じような進化が多局面で生じることはよくあるという指摘をした上で、この本のあらすじが振り返られる。そして、本当の締めくくり。最後のあたりを抜粋しておこう。
     生物の世界も指数関数的に進化の速度が上がって来た。大きな脳を持ち石器を使う種の誕生までに、予測される地球の寿命の大部分が費やされた。だがその後たったの数千年でインターネット、遺伝子クローニング、そして、地球の大気そのものを技術的に操作しようというジオエンジニアリング構想までが生み出されている。地質学的、生物学的変化は変革の時、すなわち、アイデアや発明が私たちの体、地球、そして、両者の相互作用を形作る時代をもたらした。私たちの種が登場するまでに、数兆の藻類が数十億年かけて地球を変えてくれた。だが今では、光のスピードで伝わる一つのアイデアが変化をもたらす状況になっている。
     私たちヒトなる種は、生物学的に継承した形質を拡張して、広大な宇宙を見、137億年の歴史を知り、私たちが惑星、銀河、ほかの生物とのあいだに持っている深い結びつきを探ることができる。私たちの体、精神、そしてアイデアが、近く、海水、そして天体のなかの原子に源を持っているとわかると、ほとんど魔法のような感じがする。人間の変化は加速するばかりだが、空の星と地面の化石は、永遠に私たちを導き続けてくれる。人間は、天空と同じくらい昔から存在する結びつきがなすネットワークのなかについ最近出来た、一つのリンクにすぎないのだという信号を発しながら。


【読み終わって一言】
 途中でも何回も書いたが、宇宙、地球に関する部分は私が大学で行った講義の内容とほとんど重なっていた。扱わなかったのは8章と10章だろうか。同じ材料をどう料理するかという興味を持って読んでいたと言っていいかも知れない。シュービンの目論見は宇宙、地球の歴史が人間の体のなかにも記録されているということを明らかにし、人間の立ち位置を再確認しようというものだと思う。大変魅力的な目論見で、多分成功したのだと思う。(20150227)    




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