1章から7章までは遺伝に関する基礎事項の復習と考えてよい。復習というからには多少(かなり?)の予備知識は要求されるということである。DNAに関する基礎知識(4つの塩基、DNA複製の仕組みなど)は不可欠である。 進化という言葉を聞いて思い浮かべるイメージは外部環境によりうまく対応して行く「形質」の変化であろう。「自然選択」によって生物が変化して来たことは広く認められている。「形質」の変化に関してはよりよく環境に適応できる形質を持った種が生き延びて来た。ところで、遺伝を支配する遺伝子レベルでの変化は分子レベルでの変化であり、特に遺伝子を複製するときの読み間違いによって生じる塩基の配列ミスや、塩基の鎖の欠損、重複である。このような分子レベルでの変化は個体にとってたいがいは不利であり、よくてもせいぜい悪くはない程度である。生存に不利益な変化は速やかに淘汰されるであろうから、分子の変化は、簡単に言えば、毒にも薬にもならないレベルのものが存続するということになる。ここでは合目的生徒か、環境へのより有利な適応といった「形質」の変化を促進するような要員は関与しない。生物の生存に重要な遺伝子部分は変化しづらく、どうでもよい部分は変化しやすい。異なった塩基配列が同じアミノ酸を指定する「同義置換」の間では簡単に変化が起こるし、遺伝子の中で遺伝情報の載っていないイントロンの部分でも変化が起こりやすい。遺伝子の複写で生じ、遺伝子の機能を果たさなくなった偽遺伝子の変化は大変に早いことになる。 異なった種で同じ遺伝子の上に載る塩基の変化の度合いを調べると、系統樹を作ることができる。同一の祖先から早い次期に分かれたものの方が不一致の度合いが大きくなるからである。しかしこれはどの系統でも変化の発生率がほぼ等しい(異なる場合は異なりの度合いが分かっている)と言った仮定が必要で、無批判に適用できる訳ではない。例えば「寄生」という適応を選んだ生物では機能の縮小に伴い世代交代の期間が大幅に短くなり、その結果遺伝子複写の機会が大幅に増え転写ミスも増えるということが起きる。「退化」という「進化」に対しては慎重に見極める必要がある。 第8章から第14章までは最近の分子進化学の成果の紹介である。 精子と卵子を較べると作られる数が著しく違う。新たな精子、卵子を作るときには遺伝情報がコピーされるが、その回数は精子を作るときの方が格段に多く、従って転写ミスの回数も格段に多い。分子の変化が進化に結びつくのであるから、精子作成に際しての転写ミスが進化を牽引しているということになる。 分子レベルでの毒にも薬にもならない変化は遺伝子内に蓄積して行く。捨てられないようだ。環境が変化したとき、あるいは新たな機能が必要になった場合、生物は既存の素材をいろいろ使ってみるらしい。既にほかの目的で使われているタンパク質に新たな機能を持たせたり、今まで使わないでためて来た遺伝子プールから使えるものを引き出したりするらしい。生物の対応の仕方は「完全に満足できなくても、少しましならいい」というものらしい。タンパク質が多機能に使われるような場合には、その多機能の各方面から規制が加わるようになり、遺伝子の変化のスピードは遅くなる。簡単に言えば重要性が増した分、変化は控えなければならなくなる。 今から5億4千万年程昔に起こったカンブリア爆発といわれる短期間の種の多様化も、そのときになって新たな遺伝子が作られたのでなく、既に蓄えられていた遺伝子が使われたということらしい。分子レベルでの変化の蓄積(分子進化)があって必要なときに形態の変化(形質進化)が発生するということだろう。 第15章以降は分子系統進化学の話題、生物の分類と系統樹の確立の話題である。 分子系統進化学で系統樹を作るには枝分かれ関係を知りたいいくつかの生物群を選び、基準としてそれらの生物より以前に枝分かれした生物(アウトグループ)を一つ決める。枝分かれ関係はこのアウトグループに対して決められる。しかし、古細菌、真正細菌、真核生物の系統樹を作ろうとすると、アウトグループの選びようがなかった。この3つより先に分かれた生物はいないのだから。この問題の解決は、生物グループの分岐に先立って遺伝子の複製が起きる(カンブリア爆発参照)ことを利用し、3つのグループに共通な複製遺伝子を見つけることで、この遺伝子を合うとグループと見立てて解決した。まず真正細菌が分岐し、そのあとで古細菌と真核生物が分岐した。なお、アウトグループに選ばれた遺伝子は遺伝子の複製転写に関与するものであり、この機能以外の遺伝子を用いると別な系統樹が得られることがある。詳しい研究から、生物の初期段階では親から子へという垂直的な遺伝子伝達以外に水平的な伝達も起こっていたと結論されている。 真核生物の誕生には細胞内共生の話がついてくる。ミトコンドリア、葉緑体がその代表である。特にミトコンドリアは全ての真核生物が持っているとされている。1990年代に大きな話題になったとして、ランブル鞭毛虫が細胞内共生が始まる以前の原始真核生物なのか、真核生物が退化したものなのかが取り上げられている。ランブル鞭毛虫にはミトコンドリアはないが、関連する遺伝子や酵素は存在する。結局、ランブル鞭毛虫は脊椎動物の消化管に寄生するという生活形態をとることにより、不必要な機能を大幅に切り捨てた「退化」という適応(進化)をしたということらしい。 形態に基づく系統樹の場合、「単純から複雑へ」が指導原理であるが、「退化的進化」などあり簡単ではない。また、体腔による動物の分類、側頭孔による爬虫類の分類など従来の分類は分子進化学の結果と合わない。また収斂進化は、生物が少しでも増しな対応になるよう手近な素材を利用したという証かもしれない。 ヒトとチンパンジーの分岐はサリッチとウィルソンにより今から500万年前とされ、学会にショックを与えたが、結局その線に近い700万年から600万年前というあたりに落ち着いたらしい。最近の話題は現世人類とネアンデルタール人、デニソワ人の間に混血があったのかどうかという問題で、これらの化石人類のDNA採取に成功し、ミトコンドリアDNA、核DNAについて分析がなされた。ミトコンドリアDNAの分析では現世人類とネアンデルタール人の間で遺伝子の交換なしという結果だったが、核DNAの分析結果ではアフリカの現世人類を除く人類とのあいだで遺伝子の交換があったという結果となった。現世人類とネアンデルタール人の分岐は約50万年前、現世人類とデニソワ人の分岐は100万年前と求められた。 研究者が自分の研究成果を一般人に分かりやすく伝えるのは難しい。研究者が面白いと思うことは一般人には難しすぎる場合がよくある。読む方にそれだけの基礎知識が求められるといえばそれまでだが、かなりやさしく書いたつもりでも、「難しい!」と感じられてしまうことはよくある。生物の名前などもカタカナでなじみのないものがでてくるとイメージが全く浮かばないから取っ付きにくくなる。その辺りを覚悟して読めば、著者の熱い気持ちは十分伝わってくる。(20150425) |