そして最後にヒトが残った     ネアンデルタール人と私たちの50万年史
クライブ・フィンレイソン[著]、上原直子[訳] 白揚社、2013年発行 2600円 + 税



  これも横浜市立図書館磯子分館で借りた本である。原著は2009年に出版されており、ネアンデルタール人と現世人類との間で遺伝子の交換があったか、つまり混血があったかという問題で鍵となる重要な研究が報告される以前であった。出版があと2年遅かったら、最後の章は書き換えられていただろう。その研究については近藤修が解説で説明している。私は直前に「分子から見た生物進化」でこの話を読んでいたので、ネアンデルタール人と現世人類はほとんど接触がなかったであろうという著者の結論に違和感を感じたのだが、原著の出版年を知って納得がいった。この分野でもどんどん新たな研究成果が加わっているようである。
 プロローグとピローグに挟まれた10の章からなる。

  •  プロローグ 機構が歴史の流れを変えたとき
  •  第1章 絶滅への道は善意で敷き詰められている
  •  第2章 人はかつて孤独ではなかった
  •  第3章 失敗した実験 -- 中東の早期現生人類
  •  第4章 一番よく知っていることに忠実であれ
  •  第5章 適切なときに適切な場所にいること
  •  第6章 運命のさじ加減 -- ヨーロッパの石器文化 
  •  第7章 ヨーロッパの中のアフリカ -- 最後のネアンデルタール人
  •  第8章 小さな一歩 -- ユーラシアの現生人類
  •  第9章 永遠の日和見主義者 -- 加速する世界進出
  •  第10章 ゲームの駒 -- 農耕と自己家畜化
  •  エピローグ 最後に誰が残るのか

     著者の主張はネアンデルタール人をはじめとする現生人類と異なった人類が滅びたのは、現生人類の能力が勝っていたためではない。偶然と運によって、ある時点にある場所にいなかった、その場所にいたなら絶滅に向かったその場所にいなかったということがポイントだったとしている。絶滅に追いやる要因は主に気候変動に伴う環境の変化であり、この変化により狩猟の対象の動物が変わり、新たな狩猟法を開発できなければじり貧状態で絶滅に向かった。安定した環境で安穏に暮らしていたものは変化が起きたとき対応力が弱く、気候変動の激しい周辺環境に暮らしていたものの方がうまく対応できた。現代人類が生き残ったのは優れた能力を持っていたからでなく、「運」に恵まれたからである。このような主張が繰り返される。
     人類史の話を読んだり聞いたりするとき何時も思っていたのは、「あれだけの化石や石器でよくあれだけの話が出来るものだ」という感嘆の思いであった。しかしこの著者はかなり懐疑的である。やはり形態だけで進化の道筋を決めるのは至難の業のようだし、化石なしの道具だけでの判断はもっと難しいようだ。アウステロピテクス・アフリカヌスの「ルーシー」も現代人類への進化系統図の中では分枝ということになったようだ。旧約聖書の「出エジプト」をもじった「出アフリカ」にしても、勢いよく飛び出したのではなく、周辺にあふれた人類祖先が世代ごとに少しずつ居住範囲を拡大していった結果であると説明する。たしかに新たな居住地域を開拓して行くには冒険が伴うだろうし、生活環境も多くの場合恵まれたものではなかっただろう。気候変動に伴う環境の変化で、滅亡したり、撤退を余儀なくされることも頻繁にあったに違いない。ただ、そのような恵まれない環境にいたものの方が環境の変化に柔軟に対応する能力を獲得し、生き延びるチャンスが多かったということはあるだろう。それであっても生き延びるには「運」が必要だったのだ。火山の大噴火のとき、たまたま近くにいた種は滅び、離れた所にいた種は生き延びた。グループのサイズも、人類全体の頭数も、簡単に滅び去る程度の大きさだったのである。
     初めて知ったこともいくつかあった。ホモ・フロレエンシスは形態的にはアウストラロピテクスに似ていて、アウストラロピテクスの末裔であったのかもしれない。また、現代人類の系統と100万年程昔分岐したデニソワ人はホモ・エレクトスの末裔である可能性があり、現代人類が拡散していったとき先住人類としてその地域に生存していた可能性が強い。この本の解説に説明されているように、デニソワ人、ネアンデルタール人と現代人類のDNAを較べると混血があったという結論になるらしい。また、東南アジアの島にはホモ・フロレエンシスなどの先行人類が生き残っていた可能性が強い。人類はごく最近まで孤独な存在ではなかったのだ。
     生物の進化を考えたとき、チンパンジーと人類からして非常に近縁の種といえるだろう。まして、先行人類はみんな人類のごく近縁の存在である。5万年という時間は地球のタイムスケールでは無に等しい。ただ、生物にとってその5万年はとてつもなく大きな隔たりだろう。ホモ・エレクトスだって十分知的な存在であったはずである。しかし彼らが今現れたとしたら、われわれから見れば原始人であろう。彼らに世界を自由にするチャンスは訪れないであろう。現生人類は「運」に恵まれ、その他の人類はそうではなかっただけでなく、もし現生人類に続いて進化の途上にあった種があったとしても、その種も「運」に恵まれなかったということなのだろう。現生人類の「運」もいつまで続くのだろうかと考えてしまった。
     このジャンルの本は一般に研究の成果を示す非常に強い、場合によってはどぎつい主張をする。その方が読んでいる方もはっきり分かったような気になる。研究者側から見れば、研究費を獲得するためには誇張してでも成果を誇らなければならないという事情もある。しかし、この本の著者は、もっと常識的な見方で対応しようとしている。そこが、よい点でもあり、物足りなさでもある。この分野の実情はこの辺りなのではないだろうかと思った。  (20150427)
     



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