プロローグと4部15章からなる。
19世紀最後の年、1900年にプランクは黒体放射を説明するために、エネルギー量子の概念を導入した。1905年、アインシュタインはこのエネルギー量子の概念を使って光電効果の説明した。1913年、ボーアは原子の量子論を発表している。本書では第1部で量子論の誕生、第2部で量子力学の誕生と確立、第3部で量子力学で曖昧になった物理的実在に関するアインシュタインとボーアの論争、第4部では物理的実在に関する最近の状況をまとめている。巻末の年表には2007年まで納められているから、出版直前までの情報が納められていることになる。 19世紀末言えば1895年にレントゲンによるエックス線の発見があり、1896年にはベクレルがウラン鉱物が放射線を出すことを発見した。1897年にはJ.J.トムソンが電子を発見している。このような物理学の最先端の流れの中で黒体放射の研究は地味に見えるが、その裏には新興国ドイツがイギリスなどに対抗して電気産業を振興させるという国策があったとプロローグに書かれている。このような、産業史、政治史に目をやりながら、また科学者の個人史に触れながら進められて行く語り口は、「アアそういうことだったのか」と科学史だけでは理解できなかった歴史の必然性のようなものを感じさせる。 第1部は高等学校から大学初年度にかけて学んだ原子物理学の復習といった感じの部分。数式や化学式がでてくる訳ではないので、「黒体のエネルギー分布の式ってどんなだったっけ」などという疑問を持った場合は自分で調べるしかないが、そんなことが気になるのは少数派だろう。ただ、高等学校でも原子論を学んだないような読者がこの本を読んで追っていけるかというと難しいかもしれないと思う。原子物理学に興味があり、一通りの講義を受けたことのある読者あるいは現在勉強中の読者には面白く読めると思う。 私が認識を新たにしたのはプランクが量子の概念を導入した時は電子が発見された間もなくで、原子の構造など解明もされていなかったという事実である。原子が原子核の回りに軌道電子を持つという現代に生きる我々が当たり前に思っている(必ずしも正しくない)原子の描像はエネルギー量子の概念があって初めて出てくるものなのである。光の持つ「波」と「粒子」の二重性も科学者の論争の種であったが、普通は粒子と見なされる電子に流れである電子線にも波の性質があるーー物質波ーーことがド・ブロイにより提唱された。 第2部は誕生した量子論を量子力学という体系にまとめあげる苦労の物語である。排他律のパウリ、行列力学のハイゼンベルク、波動力学のシュレーディンガー、その他、ボルンやディラックなどが活躍する。波動力学、行列力学は数学的には同一であることが示され、量子現象をうまく記述するが、その物理的解釈は研究者の間で大きな問題となった。ハイゼンベルクの提案した不確定性原理は従来の決定論的な物理世界観に大きな衝撃を与えた。 第3部では「粒子は観測という行為と無関係に実在する」という古典的物理世界観にこだわるアインシュタインと量子力学に従えば「観測されるまで実在は議論できない」とするボーアのグループの攻防が描かれる。アインシュタインはまず不確定性原理を崩そうといろいろの思考実験でボーアを攻めるが、ボーアはなんとか防衛に成功する。1935年のEPR(アインシュタイン・ポドルスキー・ローゼン)論文では、あるとき相互作用があったがその後遠く離れてしまった2つの粒子のなす系の総運動量と2粒子間の距離は正確に決められるので、一方の粒子の運動量を測定すれば、もう一方の粒子の運動量は測定せずに決めることができる。この粒子については測定を行わないでも運動量という物理的実在が存在することになり、測定が行われない限り実在はないとする量子力学は不完全であると述べている。もしいかなる情報も光速を越えて伝わることがないという仮定が正しいならば、遠く離れた粒子の測定が瞬時に他方の粒子に情報を与えることはない。この論争でもボーアは防衛に成功したように見えたが、反論は明確性を欠いたようである。 第4部ではEPR論文で提示された物理的実在論、局所的宇宙像(情報が光速を越えて伝わることはない)と反実在論、非局所的宇宙像の議論は、アインシュタインとボーアの時代には多分に哲学的なものであったが、1964年ベルの不等式が提案され、測定可能な対象となった。測定の結果は量子の世界では情報は瞬時に伝わりうることが示され、アインシュタインの局所的宇宙像は支持されなかった。しかし、ボーアの”正当的”量子力学が正しかったのかというと必ずしもそうとも言えないらしい。訳者があとがきで「もしもあの世のアインシュタインに会いに行き、ベルの不等式のことを説明して、クラウザーやアスペラ新世代の物理学者による実験結果を伝えたならば、アインシュタインはちょっと遠くを見やるような目をして、『ああ、そういうことだったのか』と言うのではないだろうか。そして彼は、非局所相関のある宇宙像を受け入れ、実在論は堅持するに違いない。」書いているのが心に残った。 読んでいて楽しい、面白い本であった。ただ、このての本を楽しむためにはそれなりの基礎知識は必要であるということも痛感した。(20150818) |