2月6日の読響ニュースレターに次のように書かれています。
西洋音楽史を問い直すかのような、山田らしい独創的なプログラムです。 バルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」では激しいリズムを引き出し、迫力のパフォーマンスを展開するでしょう。 続いて、武満の代表作「ノヴェンバー・ステップス」を演奏。邦楽界に革命をもたらす藤原道山と友吉鶴心を独奏に迎え、山田は繊細かつ熱いタクトで、1970年代に欧州音楽界に大きな衝撃を与えたこの傑作を指揮。圧倒的な音響空間を作り上げ、初演時の衝撃を現代に蘇らせます。 最後は、ベートーヴェンの交響曲第2番を演奏。山田の奇抜なアイデアで弦楽器を左右2群に分け、独奏かつ鮮烈なサウンドで聴き手を魅了します。 これまで大抵一階席を取っていたが、今回は2階席を取った(写真はその席から開演前に撮ったもの)。2階中央前から5列目。ステージが見下ろせるのがいい。生演奏は音だけではない。演奏者の様子も訴えてくるものがある。楽器の配置もよくわかり、今回は特に良かったと思う。バルトークにしても、武満にしても弦楽は2グループに分けているし、この日の演奏では、ベートーヴェンまでその配置で押し通したのだから。 初めはバルトーク。ティンパニーの強打が心地よい。メリハリの効いた演奏だった。第4楽章の途中で、楽員が動いている。なんだ?チェレスタ奏者がピアノの横に出てきている。そして連弾。連弾が終わったらまたチェレスタに戻った。そんな様子がよく見えたのも2階席の効用だった。 15分の休憩が終わり、オーケストラメンバーがステージにはいる。次に琵琶と尺八奏者が出てくるのだと思ったら、指揮者、山田和樹氏が登場。「小澤先生が亡くなりました。黙祷、とも思いましたが、小沢先生は『そんなこといいから、音楽を楽しみなさい。』というに決まっているから、このまま続けます。」というアナウンス。「ノヴェンバーステップスは、小澤さんが初演した曲。べートーヴェンの交響曲第2番はその演奏会で演奏された曲。今日のプログラムは初演御演奏会の一部を写し取ったものです。」というような説明もあった。予想もしなかったアナウンス。これだけでも忘れられない演奏会となった。 「ノヴェンバーステップス」はニューヨークフィルハーモニックオーケストラの委嘱により武満徹が作曲し、1967年11月に小澤/ニューヨークフィルによって初演が行われた。LPへの録音はニューヨークフィルとは行われず、初演の1ヶ月後にトロント交響楽団と行われた。この録音は、メシアンのトゥランガリラ交響曲との組み合わせで販売された。私は大学の1年だったと思う。発売を心待ちにして購入した覚えがある。その時の主目的はトゥランガリラの方であったのだが。「ノヴェンバーステップス」については結構前衛的な曲だとは思ったが、特に聴きにくい曲といった感じではなかった。今回聴いても、すんなり入り込める曲だった。ただ、琵琶の音に関しては、録音の方がずっと細かいところまで聞き取れると思った。特に西洋音楽では雑音とされるような音に関しては、録音の方がずっと生々しい。奏者によるものなのかもしれないが、録音によって調整されているのではないかと思った。琵琶にしても尺八にしても奏法は伝統的なものなのだとすると、現代音楽にぴったりなのかもしれない。弦楽器のボディーを弓で叩くなど、現代音楽ではよく行われるようであるのだから。 そして、ベートーヴェン。やりたい放題の演奏と言っていいのだろうか。管楽器は倍増されて4管になっていたし、弦楽器は先に書いたように半分ずつ左右に配置されていた。スケルツオ楽章の初めは舞台右側の弦楽器だけで演奏し途中から左だけに交代。トリオ後は全弦楽で演奏された。私の耳に新鮮だったのは第1楽章の第2主題。管楽器を中心にした問いかけに弦楽器中心で応える。その音色のコントラストが見事だった。超高速の終楽章。全曲を通じてティンパニーの強打が印象に残った。メリハリの効いた演奏というのだろうか。ベートーヴェンが聴いたら目を回すだろう。 それにしても西洋クラシック音楽というのはすごいと思った。ベートーヴェンの交響曲2番の初演は1803年。日本では1804年から1830年が文化文政時代になる。絵画の葛飾北斎や、測量の伊能忠敬は現代にも通用する技法、技術を持っていたかもしれないが、思想といった面では、明治維新によって価値観が一変し、連続性が失われたのだろう。作曲者が思ってもみなかった改変が加えられたとしても、200年以上も前の交響曲に込められた理念が今の時代まで通用するというのはすごいことだと感じた。 (20240211) |