令和6年最初の観能 2月宝生能 西王母と花月を観る




 宝生能楽堂は45周年を迎える。建て替えは令和7年から2年ほどかかるらしい。建て替え中は現在より収容人員の少ない能楽堂を使う必要もあるからか、今までの宝生月浪能、五雲能、女流能などをまとめて、年4回の宝生会特別公演と年10日の宝生会定期公演に再編成した。特別公演は従来の月浪能特別会をついだもの。定期公演は午前11時開始の午前の部と午後3時開始の午後の部の1日2回公演である。
 今回観た2月定期公演(2月17日)午前の部の演目は「西王母」と「花月」。どちらも比較的短い曲である。「西王母」は以前観た気もするが、「花月」を観るのは初めて。一度見たいと思っていたがなかなか巡り合わなかった。
 西王母は中国の女神。その庭には3千年に一度咲くという桃があるという。周の穆王のもとに若い女が3千年に一度咲く花だと言って桃の花を献上し、問われると西王母の分身だと言って消える。中入り後、西王母が侍女に桃の実を持たせて現れ、穆王に献上する。
 番組表にはツレとされていた侍女は子方であった。かわいらしい。これなら一度見たら忘れそうにないので、前回観たとしたら、ツレだったのかもしれない。もう一点。西王母の装束は曲目解説に載っている紫系の衣でなく、白い衣だった。太刀をはいているが、日本刀。どう見ても日本の女神。まあ、天上世界には日本も中国もないのかもしれないが。天下泰平を祈願する、時期にふさわしい能であった。

 花月は一場物の短い能。7歳の年に天狗にさらわれ、諸国を巡ったのち、遊行となって清水寺で芸を見せている少年がいる。たまたま清水寺を訪れた僧が、門前の者(間)に「何か面白いものはないか」と訊ね、花月の芸尽くしを観ることになる。花月は、間に促されるまま、名前の由来を語り、小歌を謡い、梅の花を荒らしに来た鶯を弓で射る仕草をし(殺生戒に反するからといって矢を放つことはしない)、寺の縁起を曲舞で舞う。失った我が子であると気づいた僧が名乗りを上げ、父子再開。花月は鞨鼓を打って喜びの舞を舞ったのち、天狗にさらわれたのちの諸国巡りの様子を舞い、父子そろって仏道の修行に出たという話。
 間がストーリーを小気味よく進めてゆく軽快な能であった。よくできた能だと思う。この能、ワキ、間、大鼓、後見を除いて全員が女性。素人の素謡に女性が入ると調子の合わせ方が難しいことを経験しているのでどんなものかと思っていたが、全く違和感はなかった。
 狂言は野村萬斎の鬼瓦。

 (20240224)

   




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