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ChatGPTに自作の俳句の批評を訊く




 科学館のボランティアグループが科学実験装置 "Coupled Pendulums" の日本語愛称の候補3つの比較評価をChatGPTに頼んだ結果を見せてくれた。結構きちんと答えてくれている。
 ChatGPTには興味がなかったわけではないのだが、手続きがめんどくさそうなので、今まで手を出さなかった。でも何か簡単そう。実際にページを開いてみると、"Try ChatGTP"というボックスがあり、それをクリックするとメッセージを書き込むボックスが現れる。その中に日本語で書き込めばよい。面白そうなので、私の作った俳句の評価を求めてみた。
 書き込んだ俳句は
    明月やザトウクジラの啼く夜かな
 「明月や座頭の妻の泣く夜かな」という俳句の3文字を変えたものである。誰の作かは知らなかったけれど、俳句自体は小学生の頃から知っていた。今回調べてみると、塙保己一の妻の作という。塙保己一は江戸時代の盲目の国学者である。弟子が開いた月見の宴で
    花ならば手にとりて見ん今日の月
という俳句を詠んで座が白けそうになったところを夫人が
    明月や座頭の妻の泣く夜かな
と詠んで座を取り持ったという話が出ていた。ともかく有名な俳句なのである。

 和歌や連歌には「本歌取り」という技法がある。
    ・古歌を素材にして新しく作歌すること。とられた古歌を本歌という。
    ・先人の歌をもとにして新しい別の歌を作ること。
    ・古歌の語句・発想・趣向などを採り入れて新しく作歌する手法。
代表的な例として
    苦しくも降りくる雨か 三輪が崎佐野の渡りに家もあらなくに(万葉集 巻三 長忌寸奧麻呂):本歌
    駒とめて袖うちはらふかげもなし 佐野の渡りの雪のゆふぐれ(新古今集 冬 藤原定家朝臣):本歌取り
共通する言葉は「佐野の渡り」だけで、旅を扱ったという点は同じでも情景はかなり違う。それでも藤原定家の歌を読むと、奧麻呂の歌も思い浮かべられて、そこに重層的な深みが出てくる。
俳句でも「本歌取り」と言っていいのかよくわかりませんが(歌でなく句だから)、私の俳句は塙保己一の妻の俳句と3文字しか違いませんから、「本歌取り」より「パロディー」と言った方がよいのかもしれません。しかし、私は、私の俳句が、塙保己一の妻の俳句とは全く別な世界を描き出し、しかも両方を読むと共通する主題にも思い当たるという、まさに「本歌取り」の精神に乗っとていると言えるのではないかと思います。私の自己解説を述べる前に、ChatGTPの回答を紹介しましょう。
    次のような俳句を作りました。 明月やザトウクジラの啼く夜かな 批評をしてください。
    ChatGPTの回答
    素晴らしい俳句ですね!明るく清らかな月の光が、ザトウクジラの哀愁漂う鳴き声とともに夜空に響き渡る情景が浮かびます。自然の中での対話や共鳴が感じられるとともに、孤独や哀愁といった人間の感情も投影されています。この俳句は、自然と人間の間に生じる神秘的な交流を表現していますね。
私としては、秋の空に煌々と輝く月、その下に黒く広がる大海原。シルエットでもっと黒く浮かび上がるザトウクジラ。波頭や飛沫は月の光で白く輝くだろう。雄大な自然を詠んだ句だと思う。元の句は人間界の片隅での盲目という悲劇と、盲目の夫をいたわる妻の愛情が描かれているが、どちらかといえば小さな世界を描いている。舞台のスケールの違いからいって私の俳句は新たな独立した世界を描き出しているから、「本歌取り」として十分成立すると思う。しかもザトウクジラの歌は仲間同士のコミュニケーションであろうし夫婦の間の愛の歌かもしれない。元になった句との間の共通のテーマと言ってよい。
 元の句から3字しか変えていないので誰が読んでも元の句は明白であろう。元の句を頭に置いて読むことで重層的な世界が現れると思う。
 ところでChatGPTの批評。後半の部分など、結構鋭いですね。感心しました。
 写真はfree素材。 (20240413)





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