ヴュルツブルク Wuerzburg 6月2日〜4日      地図(Map)

    
 宿泊:Central Hotel Garne

【6月2日】

 ニュルンベルクを10時頃発ったのでヴュルツブルクには昼前についてしまった。これから2泊するセントラル・ホテル・ガルニに行く。ホテルは中心街に入る少し手前にあった。駅からもそう遠くなく、場所としてはなかなかいい。さすがにまだ部屋は用意できていないという。荷物を預けて町の様子を見に出かけることにした。(部屋は狭かったが、ドイツで泊まった中では満足のいくホテルだった。ホテル ガルニというのはレストランのないホテルのこと。)

 ヴュルツブルクでの予定は
  • マリエンべルク要塞とマイン・フランケン博物館の見学。 --- ここのリーメンシュナイダーのコレクションは必見だと言う。ただし、月曜日休館なので、見学は6月3日。
  • レントゲンがX線を発見した部屋(復元)の見学。 --- ここは月曜日でも開いている。
  • レジデンツの見学。 --- ここも月曜日に開いている。
  • 大聖堂、ノイミュンスター教会の見学--- ここも月曜日に開いている。リーメンシュナイダーの彫刻がある。


【レントゲン記念室 Roentgen Memorial Room】
 ホテルから歩いて5分くらいのところにあった。レントゲンリングという広い道に面している。現在、ヴュルツブルク=シュヴァインフルト応用科学専門大学として使われている校舎の中にある。受付があるでもなく、扉を開けて勝手にお入りなさいという形だが、道に面した外壁に表示はあるものの、ドアには何も書かれておらず、近くにいた学生(?)にどこから入るのか確かめた。扉から直線に延びる廊下の先に実験室と、簡単な資料室があった、廊下の壁には説明パネルが貼ってあった。廊下に面していくつか教室やセミナー室があり、学生が使用していた。入口付近には映像による解説があり、日本語解説もあった。この記念室もずっとこの形で保存されていた訳ではなく、最近になって(X-線発見100年記念?)整備されたようだ。

【写真左より】実験室;初期のレントゲン装置;実験室の前から入口扉を望む;レントゲン胸像;1905年に当時の高名な物理学者たち(ボルツマン、ローレンツ、プランク、ウィーンなど)によって埋め込まれたプレート 


【大聖堂とノイミュンスター教会 Grand Cathedral and NueMuenster Church】
 大聖堂にはシェーレンベルグ大司教の墓碑、ノイミュンスター教会のはマリア像、どちらもリーメンシュナイダー(Riemenschneider)の作である。シェーレンベルグ大司教の墓碑(暗くて撮影失敗)は厳しく、マリア像は穏やかに優しく、鮮やかな対象を見せていた。
 それ以上に考えさせられたのが、第二次世界大戦後の修復のあり方である。例えばローテンブルクやニュルンベルクは積極的に中世の町並みを復元しようとしているように思える。それに対して、ヴュルツブルクは新しいものとの共存、折衷を目指しているように思える。
 例えば大聖堂である。祭壇付近は現代的な装いになっている。入口のドアも現代風である。聖堂の柱にリーメンシュナイダーを初めとする墓碑を取り付け装飾にしたのも、単なる復元を目指していないからだろう。復元を目指すことが出来ないほど、ダメージが大きかったのかもしれないが。
ノイミュンスター教会に行くと、単なる復元を目指していないということがもっとよく分かる。祭壇は豪華なバロック調だが、天井に近い壁にかけられた絵は現代作家のものである。リーメンシュナイダーの「聖母」や、十字架の釘が外れて手を体の前で交差させているキリスト像の前にある燭台やテーブルも現代のものを使っている。教会に置かれていたパンフレットによると、「300年前、ロマネスク様式にバロック様式を取り入れる改築が行われた。今回その先例にならって、ユルゲン・レンセン博士のコンセプトに従って、個々の空間はあらたな定義に従って造形し直され、現代美術を導入し、『司教区の心』として生き生きとした教会を目指した。」と説明されている。聖母子像の写真も載せておこう。

【レジデンツ Residenz】
 18世紀の初めまでこの地を治める大司教はマリエンベルク要塞に居住していたが、世の中が安定して平地での生活が可能になったのでこの宮殿を建て移り住んだ。ガイドツアーに申込み、一階の「庭園の間」と「玄関ホール」を見て時間をつぶす。この宮殿の中はガイドなしで廻ることも出来るがその場合は2階の半分位を見ることが出来ない。
 まず広いゆったりした階段を上って2階へ。「階段の間」と呼ばれ、天井のフレスコ画はヴェネチアの巨匠ティエポロによるもので、当時知られていた4大陸(ヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカ)を描いている。アジアはアラビアかインドの風俗といった感じ。アメリカはアメリカインディアンが描かれていた。「階段の間」の次は「白の間」。「皇帝の間」の前室になっている。続いて、豪華な「皇帝の間」。そのあとはガイドツアーでないと入れない大司教の個人的な部屋が続く。ここにも「鏡の間」があるが、この頃の貴族の鏡に対する関心は今からすると異常にも思えるが、当時これほどの大きさの鏡は富の象徴だったのだろう。鏡の面に模様が書いてあったりして、合わせ鏡の無限映像からは逃れているが、常に姿が映っているというのもうっとうしいような気がする。ツアーはおよそ1時間かかった。
 ヴュルツブルクでは毎年6月から7月にかけて「モーツァルト音楽祭」が開かれ、レジデンツでも演奏会が催される。会場は室内楽なら「皇帝の間」、オーケストラの場合は、「皇帝の間」+「白の間」。「皇帝の間」の切符は100ユーロから60ユーロくらい、「白の間」だと30ユーロから10ユーロ程度。ただ、「白の間」と「皇帝の間」は壁で仕切られているから、「白の間」からは舞台は見えない。音は廻ってくるだろうけれど、どんなものだろう。値段も結構高い(今回聴いたどの音楽会よりも30ユーロ近く高い)。「皇帝の間」で聴くということに価値を見いださない限り、専用音楽ホールで普通に聴いた方が満足度が高い気がした。


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