ザンクト・ウォルフガング St. Wolfgang 5月26日から27日     地図(Map)



    
 宿泊:Pension Linortner
ペンションの部屋は湖に面していた。ベランダから撮った一枚。

 初めの計画では、ハルシュタットを廻って夕方ザンクト・ウォルフガングへつき、翌日の午前中に登山鉄道で山に登り、昼頃のバスでバート・イシュルに出てリンツに向かう予定だった。しかし、どうも登山鉄道にもっと時間がかかるような気がして来たので、さきにザンクト・ウォルフガンに行き、その日のうちに山に登ってしまおうと考えを変えた。この計画変更は成功だったと思う。翌日は雨だったから。
 ホテルのすぐ近くから朝9時頃のバスに乗って、バート・イシュル経由でザンクト・ウォルフガングに向かう。バスは10分ほど先のヴァイスバッハでバート・イシュル行きに接続するのだが、着いたら即出発というダイヤになっている。「遅れたらどうなるのだろう」と心配だったが、こちらのバスが着いて客が乗り移るのを待って出発という仕組みだった。乗り移ったのは私一人。接続バスはれっきとしたポストバス(Postbus to Bad Ischl)(オーストリアl国鉄のバス)だったが、8人乗りのホテルの送迎用の車程度の大きさだった。ヴァイスバッハからバート・イシュルまで中間駅なし。アッター湖の南に迫る山地を横切ってひた走る。バート・イシュルで小一時間バスを待ち、ザンクト・ウォルフガングへ向かう。登山鉄道の駅のある終点まで乗っていったら、ペンションは2つ前の停留所で降りる方がずっと近かった。ペンションはお土産屋やレストランが扱った繁華な一角の外れにあった。11時半頃到着。すぐ部屋に入れてくれた。

 12時少し過ぎに登山鉄道の切符売り場に行ったら、12時の列車が出た直後で約1時間の待ち。午前中はよく晴れていたのが雲が出てくる。
 13時に出発。進行方向左側の一番前の席に着く。線路はアプト式で最大傾斜は26°という。40分かけて1700メートル余の山頂まで登る。機関車は蒸気機関車。斜面でも水平を保つよう、前輪が小さく、後輪が大きくなっていて、平地に奥とお尻が上がって見える。

途中から雨が降り出し、頂上は、雨は降っていないものの、ほとんど景色が見えない。30分後に出る今乗って来た列車の予約をするか、その一時間後のにするか判断を迫られる。「1時間待てば晴れるかもしれない。」願いを込めて予約を取る。頂上に登るが、ほとんど見えない。そのうち、雨が激しくなり、雷も鳴り出した。しばらく山頂にホテルで雨宿りしたが、諦めて小雨の中を鉄道の待合所へ。そしたら・・・15分後に晴れた。南の方に雪をいただいた山々が見える。「今日はラッキー」と思った。
 山に登り、岩石が露出しているのを見ると、地質が気になる。帰って来てからインターネットでオーストリアの地質図を探した。オーストリア地質調査所が発行した地質図(Geological map of Austria)があった。リンツからフェックラブルックにかけてのトラウン川に沿った地帯は、南のアルプスが隆起して行くとき出来た北側の浅い海にたまった浅海性の堆積物で出来ている。このような堆積物をモラッセというのだそうだ。アッター湖の含まれる比較的平坦な部分は白亜紀から第三紀初期の深海底堆積物。フリッシュと呼ばれる。アッター湖の南岸は切り立った山地に接するが、中生代の石灰岩など改正堆積物で、アルプス造山活動の本体部分。シャフベルグ山はこの地帯の北端に位置する。対岸の山も明らかに氷河によって削られた形をしている。専門家に説明を受けながらの地質ツアーは面白いだろうなと思った。




 町の真ん中に教区教会がある。教会の前にはメイポールが立っていた。この時期は、ホワイトアスパラガスのシーズン。ステーキ付きの一皿でも主役はあくまでアスパラガスなのだそうだ。私の頼んだハム付きの皿なら主役がアスパラガスなのは一目瞭然である。対岸の山も夕方の光を浴びてくっきりみえるようになった。
 夕食を食べて、町を散歩した。町の真ん中に教区教会がある。教会の前にはメイポールが立っていた。7時近いのに教会が開いていた。中に入ると祭壇が開かれ照明があてられていた。15世紀に、ミヒャエル・パッヒャーによって作られたものだそうだ。




ゼーフェルト(アッター湖畔)Seefeld am Attersee (5/25-26) に戻る。
ザンクト・フローリアン St. Florian (5/27-29) に進む。
ヨーロッパ芸術紀行 の頭に戻る。 (to the first page of 2014 Europe)
inserted by FC2 system